最近は目的や目標のことばかり考えている。
このツイートを見ていて
自分は左側の目的や目標を設定できていない行動ばかりをして、課題設定や目標設定がうまく行えていないタイプ。最近は気力の問題でそうでも無いことをしているが。気力が無くなっている理由としては
キツいしか感じないのは目標設定が甘いか無いって事じゃない?目的や目標の無い努力はやめた方がいいよ
元はとある方のツイートだったが削除していたようなので抜粋
という話もあり「そうだな」と感じる。目標設定が無いからキツいし疲弊する。
「お金を稼ぐ」という漠然とした欲求や目標のようなものもあるが継続するための必要要件であり、それが目的になるのであれば選択肢が狭まっていないので課題設定となり得ていない。すでに目的を見失っている状態になる。
道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である
二宮金次郎の言葉
この言葉がしっくりくる。経済先行で道徳を考えていないので目的や目標が必要になる。
だけど目的や目標はそんなに重要なのか?
なんとなく生活している人は多いし、全員がそこまで考える必要があるとは思えない。考えないで生活しているからタンス預金(お金を回さない)という行動もしてしまうわけだが。
目的や目標の「やりたいこと」が無い人に向けた考え方、肯定している考え方は「タイプB」というカテゴライズがされていて
「タイプB」の特徴
– やりたいことや夢がない
– ネガティブで自信がなく、自己肯定感が低い
– 誰かがやりたいと思っていることを後押しする
このままなんとなく、あとウン十年も生きるなんて マジ絶望
誰かがやりたいと思っていることを後押しする、協力する大事な役割がある。著者の長江貴士さんはタイプBのタイプ。同じ人のために何かをしようとしている人らしく、自分も何か出来るのであれば協力したい。これがタイプB
特に「やりたいこと」や「まとまったお金」、
「明確なビジョン」がなくても、
他のどんな働き方よりも安パイに
経済的に自立できるすごい働き方があります。
それが「地味な起業」です。
僕たちは、地味な起業で食っていく。 今の会社にいても、辞めても一生食いっぱぐれない最強の生存戦略
「地味な起業」でも目的や目標がないのを肯定してくれている。
必ずしも主体的に考える目的や目標を作らなくても「協力する」というスタンスで安定した生活を獲得する。それがいい社会。
そこまで考えて協力するスタンスを続けて「その先」を想像した時に自分自身が納得するのか問うてみるともう少し希望というか、何かが欲しくなってしまう。欲張りだ。
哲学的追求まで遡ると
なによりも大切にすべきは、ただ生きることでなく、よく生きることである
ソクラテスの言葉
よく生きる。噛み砕くと「より良い日々を充実感を得て幸せになるように人の役に立つためのことをする」ということだと解釈。
人の役にたつためのこと、それは今困っている人を助けるか、最大公約数的には未来を実現して便利にすること。
きたるべき未来の到来を早めることが、その時代を生きる人に課せられた唯一の「仕事」です。私たちが何気なくすごす毎日もすべてはその「仕事」につながっています。
未来に先回りする思考法
引用元の「未来に先回りする思考法」未来への流れてとは、噛み砕くと
という2点で捉えることができる。物事の効率が良くなり、今まで物質でしかなかった例えばお金が電子マネーになる「無」になったり。
より詳しく書き下すと、第1章”テクノロジーの進化には一本の「流れ」がある” では
テクノロジーの3つの本質
– 人間の拡張
– 人間への教育
– 掌から宇宙へ
未来に先回りする思考法 第1章”テクノロジーの進化には一本の「流れ」がある”
と書かれている。人間の出来ることが拡張され、教育がされ、宇宙へ。物事を原理から捉えて、今ある点で対応するのではなく過去からの線で未来を予測する。
「効率が良くなる」は理屈としては分かるが、ソクラテスの言葉で取り上げた「よく生きる」観点からみると少し足りない気がしていて
世界に起こっている三つの変化
1.便利さ(機能的価値)の時代から、心(感情価値)の時代へ
2.画一的な価値観から、多様な価値観を認め合う時代へ
3.透明性の加速。DoingからBeingの時代へ
ハートドリブン 目に見えないものを大切にする力 (NewsPicks Book)
- 便利から感情を求めるようになる
- 共通の価値観より多様な価値観
- やった、ではなく、どうやるか
「よく生きる」を考えて参考になるし、感覚的に理解ができる。
(ネガティブレビューが目立つ書籍で全部は救いきれていないのが少し気がかりだが。(件数としては少ないのでなんともいえないが))
目的や目標、「必要」な意見が大半だが「必要ない」考え方もあり、その人自身の落とし所次第で変わってくる。便利にすれば未来を先取りすることになるので目的は無しでも構わないかもしれないが、未来は便利だけでなく感情論としての可能性もありつつ、しかし感情は一過性の物なので未来とは相反することなのかもしれないし、そうでない未来かもしれない。
理論ばかりが先行して収集ばかりをしていて、実際に自分自身の事柄として落とし込めていないのが実情。相変わらず頭でっかちになっている。ちなみにこの記事を書く目的は「要は人次第でしょ、を具体的に例を交えて思考した過程を書き起こす」でした。