最近は目的を達成するために手段を探して行動していくなかで、どうにも噛み合わない事が気になっている。
最初に目的や役割を提示したとしても理解したつもりになって手段の是非や自己紹介ばかりで進まずに一人喋り(独り言?)を続けられてその人のプライドを優先する行動になってしまって目的を達成できずにお流れになってしまうことが多々あった。
合わない人だったなと気持ちを切り替えてもう一度他の人とやり直しをするのだが、事前に察知できる経験値の積み立てや会話の掛け合いで消費する時間を少なく出来るのではと考えてしまう。
相手に求める事といえば「少しだけ未来を見据えた行動ができているか」だと思っていて、会話の中でもふわっと喋ってどこに着地するかわからないで喋り続ける人はあまり良く無いなとか。そのタスクを完了したら何かが便利で汎用的になるけども、それだったら一言で済むよねとか。
自分が「少し未来を見据えた行動」が過去出来ていなかった反省があるからこそ、少し未来は見据えて行動していきたいしそれがお互い出来るようにしたいよねと。
そのために目的を明確にシンプルに、お互いが達成すべき物をわかり易く。「凡だから却下」と言う変な人も居たけどよくよく聞くと目的と手段の違いがわからず着地点もない事を言い続けて何を伝えたいのか2時間かけても不明だったので「そうですね〜」と言ってこれ以上の関係を持たないほうが良いなと切り替えた。
「少し未来を見据えた行動」を取るためには目的や役割が必要だと思っていて、それが無いと受け身で他力本願と他責思考なので関わると兎に角やる事が増えて労力に見合わない損な状態になってしまうなと。
たとえば以下のような「何か役割が貰えて目的のスイッチが入る」人は案外多いんじゃ無いかなと思うし、自分もその部分があるが、それが関わる項目の全てとなってしまうと少しキツイものがある。
この
- スイッチ = やる気
- 役割や目的を見つけられない = 能力がない人
と読み替えると、このツイートにも当てはまる事かなと思う。
自分なりに落とし込んだ結果はダークナイトのトゥーフェイスかなと思ったり
というのも「目的と役割が無くてやる気がある人」と言うのは「人に優しくしよう」と心がけている人で、人の目的にすがりついちゃう人なんですね。
自分自身の目的や役割が無いから困ってる人に優しくする良い人。
だけど目的が「優しくする」なのでリターンが無くて当然で「無性の優しさ」が正しい姿だと思って続けてしまう。感謝の言葉は言われるだろうけど優しすぎて頑張りすぎて疲れて余裕がなくなってしまう。そうするといつもならどうでも良いところが引っかかってしまうし、それが続くと怒るようになって人に冷たく当たってしまう悪い人になってしまうなと。
ダークナイトはジョーカーがハマり役すぎるので、あまりトゥーフェイスにスポットは当たらないけど、彼は本当は良い人だったけどジョーカーにつけ込まれて悪人になってしまうというキャラクター。
インターネットやSNSのおかげでキラキラしている活力ある人はすぐ見つかるようになりました。それを見ていると「何者かにならなくてはいけない」と考えるのが自然な世の中になっています。
そんな中で目的や役割がわからない状態でとにかく「人に優しく」を強く掲げてしまうとそれ自身が目的になって疲弊して人に冷たく当たる人が量産されてしまう「少し先の未来」があるなと感じます。
「無性の優しさ」って美談になるんですよね。
アメコミのヒーローなんてまさにそうで、初期のスパイダーマン映画なんかは自分の生活全てを犠牲にして優しい事をしている。そして何かが起こった段階で初めて行動する受け身な状態。好きだけど、好きなんだけどそうはなれないなと。
アメコミにもそれぞれのヒーロー像があって、その中でもシャザムは他人に対する「無性の優しさ」じゃなくて自分や家族を優先して力を使うって考え方の方が良いな。
この初期のスパイダーマン映画のような「自己犠牲」が強く出ている「人に優しい」姿はあまりマッチしないというか、インターネットが無くて関わる人が少ない時に必要だった価値観のような気がしていて、現代のような関わる人を自由に選べる状況にはマッチしないよねって。「人の嫌な事をしない」の方が合ってる気がします。
「人に優しく」を根っこのほうにもっていると息苦しくなるし、人に冷たく当たる人になっちゃうんじゃないかなと思います。
優しくするなでは無く、優しくしなくちゃ、が基盤にあるのはいくないなと。人に優しくする情報に多く触れすぎたせいなのか、そればかりを重要視するのは改めなければと思う最近。