👶構って欲しくてしょうがないっ!

タイトルは田所あずさのオフィシャルブログ「不安でしょうがないっ!」のオマージュなんです。っ!がポイントですね。

普段からパフォーマンスを最大限発揮できるような環境なり行動なりを心がけていて、毎週土曜日には布団のシーツを交換しますよとか日曜日の午前中には部屋のホコリ掃除とか換気とか、月曜日の会社に出社してからは朝からデスクのホコリ掃除をしておかないとホコリとダニのアレルギー持ちの私には咳が出ちゃって生活ができないようになってしまうんですね。

環境からパフォーマンスが悪くなるようなものを排除するようにしている。もうちょっと書くと、普段からの気分をよくするために生活面でのダメなところというか、やっておくとなんとなく良い、って事について習慣を作成して「どうしよう」とかの選択する回数を減らして、いざ頭をちゃんと使って決めないと行けないものにちゃんと選択できるようにしておかないと行けない、「洗濯しないと行けないけど今日は疲れたから明日やろう」とかは頭を使って決めたのと明日やらないといけないタスクを作成しているので疲れる行動なので「今日は洗濯の日なので洗濯をする」だけでタスクの奴隷として動いた方が頭が疲れなくて良い、パフォーマンスを維持できる。

パフォーマンスを考えて排除すべき考えとか、改善しといた方がいい生活面のこと、でブログのタイトルの話題なんですけど構って欲しいんですよね。私は。「構って欲しい」って思いが強いせいでメンタル面でのブレが出て来たり「お前は自分の話ばかりで俺の事は何にも知らないよな」みたいな気持ちが出始めてきたんだけどそれは間違いだなと感じていて、

あと前提条件とちょっと気がかりなのは、リアル生活というか普段から接している人にこの内容が伝わったり読まれる事を懸念していて、読まれるのは全然構わないんですよ。読まれたら嬉しいんだけど「こいつはこんな内容を書いていたから構わないといけない」とかじゃなくて、じゃないんですよ。「大変ですね」ぐらいで流して欲しい。あえて変な言い回しをすると「構わないで欲しい」。変な人ですね。

「構って欲しい」って気持ちがあるなと思うのは自分の断片的なイラつきや感情の変化から論理的に、詰み将棋的に考えて行くと「構って欲しいんだな」ってぐらいで確定事項ではない。0か1か、じゃなくてそういう時が割とある、ぐらいです。恥ずかしさが出てきた。自分の保身に走ってる。そんなので人の感情を揺さぶるような面白い文章が書けると思ってるのか、日常を壊すエンターテイメントをやっているんだこっちは、精神を揺さ振れ。

 

人の話を聞くのは好きで、聞いていたり、理解や共感を示して疑問を投げてある程度の会話の大筋を作り上げて人同士の差分を出して個性や好みを感じるのが好きなんだけど、行き過ぎると聞いてばかりで疲れてしまう。「あなたの事は興味があって、あなた自身の事は分かってきましたけど、あなたは私の事を全然知らないんですね、興味を持たれないつまらない人間ですいません」と思ってしまう。それは間違いというか、その考えを出してしまうのはしょうがないけど、その考えを出してしまうのは疲れるしメンタルヘルスに悪くて毒で排除したい。思ってしまったのを戻す事はしたくないけど、思わないようにするにはどうしようかなと。

自分の行動による報酬を期待してるんですよね。これやったからなんか返してくれるだろう、これだけしたんだからお礼ぐらいあるよね?馬鹿か。子供ですね。無償の行動というか、あまり期待しないようにする必要があって、というか大した事をしてないはずなのになんでそういう報酬を期待しているのか。自分が好きでやっているのを突き通せ。

なんで自分自身への激昂ばっかり書いてるのか。そんなものを書きたいんじゃない。個人個人が日常的に頭の中で描いている自分への中傷行為は日常的な行動で一般的なものだと思っているので、それをただ書き連ねて行くのは読み手の日常を壊すエンターテイメントではない。変えていこう。

私はラジオを聞くのが趣味で、オードリーのオールナイトニッポンを毎週聞いているんですが、若林から滲み出てくる日々の葛藤や感情がすごく面白いラジオなんですよ。葛藤って言い回しが想像しづらくて申し訳ないし、葛藤という単語で言い表せないのでもう少し書くと、テレビに出ている人気者だけど寂しい毎日で自分は特別な存在だと信じてトンガっていたんだけど普通のおじさんになってきていて飲み会はカッコつけていかなかったけど行くようになってきて丸くなってきているんだけどこのままで良いのかな、という内容が毎回聞ける。「このままで良いのかな」の部分は若林の口からは言ってないんだけど、春日の合いの手やどのタイミングで笑うところを作っているか、の構成や雰囲気と聞き手である私の気持ちで判断すると「このままで良いのかな」と感じているんだなと思っている。ここは人によって全く変わってくる部分だけど。

そのオードリーのラジオの中でAIが漫才を作ってみたらめちゃくちゃ面白い漫才を作るんじゃないか、の話をしていた時があって、若林がここは笑うところですよの部分として話してたんだけど「AIが思春期を経験してるのかよ」「AIが中学生の時に魔法先生ネギまを回し読みして女子からの冷たい目線を経験してその時の疎外感が漫才の中から感じとれるのかよ」とそんな事は全く言っていなかったんだけど、ニュアンスはそんな事を言っていて具体的な文言は正確には覚えてなかったので自分の中学生の時の事を組み込んでみたんだけど、会話の中とか成果物の中から滲み出てくる人間性や経験してきた事が深みになって、想像力を刺激して一人歩きしてくれる。そういう事はAIからは感じ取れないし面白い漫才を作ったとしても俺らはまだまだやれる、という話。

自分の行動による報酬を期待してる話に戻すと、期待しないようにして接するようにして、別のところで報酬をもらうようにしておきたくて、AIじゃ出せない人の深みや経験を全開で出して全自動で構ってもらえる環境を別に作っておけば、良い気がしている。それは会話やコミュニケーションを頑張ったりするか、自分のスキルセットから考えてwebサービスを作成して人気者になるとか、人から構ってもらう必要もないので、別の報酬、無機質でも報酬になればよくて、無機質が嫌だったら人に興味を持ってもらえるような、間接的な興味を持ってもらえている認識があればそれでもいいし、なんとなく、やった方がいい事がまとまってきた気がする。

自分のパフォーマンスを保つために、構って欲しいから、作ったり、行動したり、しないといけない。

投稿者: soramugi

ラジオ好きが講じてお仕事に選んだ人。 webエンジニアなので「ラジオで寂しさを無くすシステム制作」をしています(ラジオ=音声コンテンツ)。 東京は立川によく出没します。

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